Aleksander Michałowski (1851-1938) - www.78rpm.net

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Great Pianists of the past

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Late Michalowski
晩年のミハウォフスキ




Carl Reinecke
Carl Reinecke
(1824-1910)
メンデルスゾーンやシューマンに師事したデンマークの宮廷ピアニスト。ブラームスとも親交が深かった。


Heinrich Neuhaus
Heinrich Neuhaus
(1888-1964)
ミハウォフスキから受け継いだロマン派のピアニズムを、ロシアのピアニスト達に伝えた。


Wanda Landowska
Wanda Landowska
(1879-1959)
チェンバロ奏者として高名なランドフスカは、ミハウォフスキの弟子。ランドフスカのモーツァルトのピアノ演奏は後世に残る名演だ。


Moriz Rosenthal
Moriz Rosenthal
(1862-1948)
リストの弟子でもあり、驚異的なテクニックで伝説となったが、ショパンの弟子のミクリにも就いたショパン弾き。


Marcelina Czartoryska
Marcelina Czartoryska
マルセリーナ・チャルトリスカ
ショパンのもっとも優れた愛弟子。







Book of Michalowski
"Aleksaner Michalowski"
Stanislaw Dybowski著「アレクサンドル・ミハウォスフキ」。こんなマニアックな本まで出版されるとは!




Ignaz Friedman
Ignaz Friedman
(1882-1948)
フリードマンの強烈なマズルカ集は、いまだにファンが後を絶たない。後年のホロヴィッツを彷彿とさせるダイナミックなマズルカは、レシェティツキ派の良い見本だ。




Aleksander Michalowski (1851-1938) - LOST PIANISM アレクサンドル・ミハウォフスキと弟子たち・その一


michalowski_schoolわずかショパン没後二年の1851年にポーランドで生まれたアレクサンドル・ミハウォフスキ[Aleksander Michałowski]は、間違いなく世界最高峰のショパン演奏家である。ライブツィッヒ音楽院でイグナッツ・モシュレス、テオドール・コッチウス、カール・ライネッケに学び、同地でアントン・ルビンステイン、カール・タウジッヒ、クララ・シューマンと、ワイマールでフランツ・リストとも親交をもった。ロベルト・シューマン「アンダンテと変奏作品46」の連弾をクララ・シューマンと共演、またリストが弾くショパンのピアノ協奏曲のオーケストラ・パートのピアノ伴奏を行った事など数々の記録が文献に残されている。私たちがミハウォフスキのレコードを聴く時、まさにピアノ音楽史の生き証人の演奏を聴いている事になるのだ。今日ミハウォフスキの名前があまり知られていないのは、熱心なコレクターさえ目にしないレコードの超希少性や、ポーランド国内に生涯留まった事による情報量の少なさに起因していた。復刻CDや自伝、ショパン協会の発行したCD付の文献などのお陰で、以前は不可能と思われていたミハウォフスキの全貌を知ることが出来る様になったのは一昔前から考えると感無量である。 未聴のピアノ音楽ファンがミハウォフスキの偉大さを知るには、彼の弟子達を一望するのが手っ取り早い。という事で、以下著名な弟子をざっと挙げておく。
日本でも人気のあるハインリッヒ・ネイガウス(Heinrich Neuhaus)やウラディミール・ソフロニツキー(Vladimir Sofronitzky)のロシア勢、世界的に著名なミッシャ・レヴィツキ(Mischa Levitzki)やワンダ・ランドフスカ(Wanda Landowska)、ショパン・コンクールの創始者であるペダゴグ・プレーヤーのイェルジー・ジュラヴレフ(Jerzy Zurawlew)、戦場のピアニストで一躍有名になったウワディスワフ・シュピルマン(Wladyslaw Szpilman)、作曲家のルドミール・ロヂィツキ(Ludomir Rozycki )、そして初期ショパン・コンクールの入賞者たち ... ヨゼフ・ スミドヴィッツ(Józef Smidowicz)、ヤニーナ・ファミリアー・ヘプナー(Janina Familier-Hepner)、ローザ・エトキン(Róza Etkin)、マリア・バローウナ(Maria Barówna)、ボレスワフ・コン(Boleslaw Kon)など、ミハウォフスキの教師としての功績は枚挙にいとま無い。

ショパンを祖とするポーランド特有の演奏スタイルは、これらミハウォフスキの弟子達が受け継いだはずだったが、不幸な事に第二次世界大戦で多くの優秀なピアニストたちを失い、この世代で途絶えてしまった。特に大戦の犠牲になったファミリアー・ヘプナー、エトキン、バローウナの素晴らしい三人の女流ピアニストたちがもっと多くのレコードと弟子を残していたら...。 さる事情通にお聞きした所によると、戦後ポーランド・ピアニストの惨状は、ミハウォフスキの弟子であるジュラヴレフが倒れたあと、国内やショパン・コンクールでの発言力を増したズビグニエフ・ジェビエツキ(Zbigniew Drzewiecki)やヤン・エキエル(Jan Ekier)といった、即物的で演奏力の低いピアノ教授たちの責任が大きいそうである。なるほど、ジェビエツキやエキエルのレコードは、彼らが非常に退屈な演奏をしたという証拠に過ぎない。没後百年にMUZAで企画されたショパン全集は、 エキエルやヴォイトヴィッツといった貧弱なピアニストの代わりに、スミドヴィッツなどの腕達者を抜擢していれば、もっと価値のある全集になっていただろうと言っていたのは真に慧眼である。

(追記訂正:この前文は完全撤回する。今ではエキエルが最高峰のショパン弾きの一人だと考えているからだ。この時代のポーランドのピアニストたちは派手な演奏をしないのでなかなか印象が薄く理解出来なかったが、エキエルほど深い解釈で端正にショパンを弾くピアニストは希有である。ー 2014年現在)

しかし、その世界的に有名な弟子達でさえも、師であるミハウォフスキには遠く及ばなかった事を知る人は少なくなってしまった。

真のヴィルトゥオジティと高貴で良く歌うタッチ、情熱的で躍動感溢れるリズム、磨き抜かれたディテールと大きな構造を見失わない知性で、ピアニストの黄金時代といわれた激戦区の中でもミハウォフスキの演奏は際立っていた。ショパンの弟子であるカロル・ミクリ(Karol Mikuli)に就いたミハウォフスキは、ローゼンタール(Moriz Rosenthal)やコチャルスキ(Raoul von Koczalski)と同じくミクリから直伝でショパン演奏の奥義を授かっているが、更に重要なのはミハウォフスキがショパンの一番弟子であり、演奏家としても超一流であったチャルトリツカ王女(Princess Marcelina Chartoryska)にも教えを受けている事である。ミクリと違い、チャルトリツカは実演でミハウォフスキにショパンの伝統を伝えることが出来た唯一の弟子ではないだろうか。ローゼンタールのショパンも詩的で素晴らしいし(ワルツ作品64-2はミハウォフスキよりも良い)、コチャルスキのショパンもミクリ直伝の貴重なドキュメンタリーである(特にアコースティック録音のコチャルスキは後期のものより魅力的である)。
しかし、ショパンの演奏スタイルを受け継いだのは、サラブレッドとされるコチャルスキではなく、アレクサンドル・ミハウォフスキであるという事は、残されたレコードを聴き比べれば一目瞭然である。ショパン自身の演奏は唯一無二である事は仕方ないにしても、プランテ、ディエメ、パッハマン、グリュンフェルト、プーニョ、パデレフスキ、ザウアー、ローゼンタール、マリー・パンテ、ルシェン・ヴュルムザー(Lucien Würmser)、コチャルスキ、ヴィクトル・ジル(Victor Gillé)など、ショパン弾きが残したレコードの一瞬の燦めきの中に垣間見る事が出来るのではないだろうか。

ミハウォフスキは、1905年から1934年頃までの期間に多くのレコードを残したが、市場に出回ることが殆ど無いのは、戦争でポーランドが受けた深刻な被害に大いに関係がある。「Chopin Playing」で著者ジェームス・メスエン・キャンベルは、ミハウォフスキのベスト・レコーディングにG&T盤「軍隊ポロネーズ」(1905年録音)を挙げており、一つ残念なのは数カ所ペダルミスがあると付け加えている。ペダルミスなど問題にならない名演であることは確かだが、むしろシューベルト=リスト「ウィーンの夜会」の高貴でゴージャスな演奏、「黒鍵のエチュード」の名人芸、ショパン=リスト「私のいとしい人」の真珠のような装飾音、難易度の高さで知られるショパン=ミハウォフスキ「小犬のワルツによるパラフレーズ」の十八番など、他のG&T盤の方がミハウォフスキの魅力を良く伝えている(「小犬のワルツによるパラフレーズ」は弟子のジュラブレフによるMUZA盤や、もっと古くはポーランドのピアノストであるカロル・シュレーター(Karol Szreter)による独VOXのアコースティック盤にも録音されている人気プログラムで、最近のピアニストもたまに採り上げている)。

つい最近までミハウォフスキのレコードのほんの数曲が、アンソロジーなどにLP復刻されているのみであったが、G&T盤の録音は英国APRから、その他の録音もポーランドのSeleneから纏めて復刻された。これはピアノ復刻界(?)の快挙である。ミハウォフスキのレコードを揃えるのは、まったく桁違いの苦労だったろう(また、Selene盤のシリーズには、弟子達の録音と共にミハウォフスキ作曲のピアノ曲が収められているのも聴き所)。
あるコレクターの方から聞いた話だが、ミハウォフスキを売った事があるというあるレコード・ディーラーに値段を尋ねた所「一年分の税金がチャラになったよ!」と教えてくれたそうだ。それが何枚も収録されているのだから、それなりに評価されて欲しいものだと思う。ミハウォフスキのレコードは、本当に幻のレコードなのだ。(注:SeleneのCDにはマトリックス番号はおろか、カタログ番号すら記載がない。また、使用したレコードのレーベル名誤記、録音年代などの記載も推測に拠るもので、残念ながら資料的な信用度は低いので、引用の際は注意が必要である。)

また、Seleneに収められた1910年頃録音のFavorit-Recordシリーズにある「夜想曲変ホ長調作品9-2」は、ショパン自身が即興演奏した装飾音をミクリが書き留め伝えたヴァリアントを含んでいると思わる。同じくミクリのヴァリアントを採用したコチャルスキの有名なレコード(1924年頃と1938年頃の2種類有り)と聴き比べると一層興味深い。「夜想曲」のレコードは、同国人のイグナッツ・ヤン・パデレフスキ(Ignace Jan Paderewski)の演奏と同様に現代的な観点から言えばかなり甘口な演奏となっているが、それが「夜想曲」を魅力的に響かせるポイントになっている。Favorit-Recordのレコードは、オン・マイク(オン・ホーン)で残響の少ない明瞭な音でピアノを捉えており、低音の聞こえないG&T盤よりもずっと素晴らしい録音だが、小さなレコード会社でプレス枚数も少ない為、一層希少なレコードだろう。

その後ミハウォフスキは、1915年頃録音の更にマイナーな(ほとんど未知の)Bel Canto Record盤を数枚残している(ただし、Bel Cantoレーベル盤がオリジナルかどうかは不明であり、原盤はFavorit録音の可能性もある)。この事実は最近ポーランドのCDレーベルSeleneから刊行されたミハウォフスキの伝記で初めて公にされた。しかし現在、ディスコグラフィーに掲載されているBel Canto盤は、ショパン「マズルカ作品68-2」と「練習曲作品10-11」のみだが、この他に少なくとももう一面ショパン「ポロネーズ作品26-1」が残されている事が判明した。(恐らくこの「ポロネーズ作品26-1」の世界初録音は、リヒャルト・エプシュタイン[Richard Epstein]による1909年録音のオデオン盤だと思われる。父親ユリウス・エプシュタイン譲りの、ペダル使用を極端に抑えた譲りの古いスタイルの演奏となっている。)ミハウォフスキが得意とした火の出るような名人芸と詩的で高貴なフレージング、効果的なアルペジォが見事に発揮されており、このポロネーズの真価を思い知らしめる様な名演奏となっている。 このポロネーズの裏面である「マズルカ作品68-2」はSeleneCDに収録された。淡々としたテンポの小ざっぱりとした解釈を基調としながら、独特なメロディの歌わせ方やトリルの扱いでポーランド特有のZalを漂わせている(Zalはブラジルで言う所のSaudade!)。ショパン演奏において装飾音の重要性は、「弟子から見たショパン」や「ショパンの装飾音」といった名著からも周知の事実ではあるが、ショパン伝統に沿った装飾音を弾けるミハウォフスキのようなピアニストはもう現存していないだろう。

1930年代、晩年を迎えたミハウォフスキは、Syrena-ElectroとPolish Columbiaに録音を行う。これら電気録音のセッションは本来良い音で残されているはずだが、復刻されたCDやLPを聴く限り保存状態の良い原盤が無いようだ。すでにこの頃80歳を過ぎ、ほぼ全盲となっていたミハウォフスキだが、ショーンバーグの指摘するとおり「スケルツォ作品20」や「前奏曲作品28-16」の火花の散る驚異的な演奏を残している。大老の予想外のダイナミクスにレコーディング・エンジニアは、マイクのセッティングを失敗したようにも聞こえる。 「スケルツォ第1番作品20」は過酷なテクニックを要求される為、ミハウォフスキ、ホフマン、グーレヴィッチ(Gregoiré Gourevitch)、ニージェルスキ(Stanislas Niedzelski)、アナトール・キタイン(Anatole Kitain)、アルトゥール・ルービンシュタイン、シリル・スミスなど技術的に恵まれていたピアニストは、進んでこのスケルツォの傑作をレコードに残した(ホロヴィッツは最後までこの「スケルツォ第1番作品20」にこだわったピアニストだが、黄金時代のピアニスト達の伝統がやはり彼の中に息づいていたのだろう)。
同じSyrena-Electroに入れた「マズルカ作品63-3」でミハウォフスキは、一転して枯淡の境地を聴かせる。リズムよりも情緒に秀でたこのマズルカの、たたみ掛ける様なコーダをなんとも儚く美しく弾いたミハウォフスキ。同郷のイグナッツ・フリードマン(Ignaz Friedman)やローゼンタールのレコードと聴き比べたい名演である。

1937年の第二回ショパン・コンクールの審査員を辞退したミハウォフスキは、その翌年1938年に永眠した。ミハウォフスキのショパンは、永遠に退屈とは無縁である。それは、行き詰まったかのように見える現代のショパン弾きたちが一番手に入れたいものではないだろうか。




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