ブラームスのピアノ自作自演 - www.78rpm.net

column

Great Pianists of the past

TOP > Composers > ブラームスのピアノ自作自演






brahms1889
晩年のブラームス


phonograph
エジゾン式ロウ管蓄音機
Edison Home Phonograph
蝋(ロウ)を塗った円筒の表面を、ラッパ型の収音機から拾った振動により削り、記録する。


phonograph02
1898年当時に使用された広告
Advertisement for the Edison New Standard Phongraph, in Harper's, September 1898.


先日、没後100年の1997年にTV放送された「過ぎし日のブラームス~幻のピアノ録音」という番組をビデオで久しぶりに見返した。やはり何度見ても心に残る素晴らしい番組だったので、敬意を表してここに記しておきたいと思う。


ブラームス自作自演大作曲家、ヨハネス・ブラームスが自作「ハンガリア舞曲第一番」とJ・シュトラウス「とんぼ」のピアノ演奏をロウ管シリンダーに録音したのは、エジソンの発明から約12年後の1889年12月2日だった。
この歴史的なロウ管は、ボーゼ博士によるSPレコード(1938年 TELEFUNKEN製 78rpm)へのトランスファーに始まり、EP、LP、CD(英Pearl「Pupils of Clara Schumann」にブラームスの自作自演が収録)とフォーマットを変え何度もリイシューされてきたが、録音・保存状態の悪さはレーザー再生を施されてもどうにも補完のしようがない。一聴、「ハンガリア舞曲」の旋律は、ピアノというよりアタック感の無いヴァイオリンの音に近く、「とんぼ」に関しては凄まじいトレース・ノイズでほとんど何も聞き取る事が出来ないと絶望しかける。
これはエジソンのロウ管蓄音機の性能のせいではなく、保存状態の悪さと、録音時の条件の悪さに起因する。ロウ管に入ったヒビは戦争の責任で、マイク・セッティングのミスはブラームス本人の思惑だった。
当時エジソンの発明に大きな関心をもっていたブラームスは、この録音セッションの為に自作の「ラプソディ作品79-2」を用意していたが、その練習中に自分のテクニックの衰えに気付いてしまったらしい。完璧主義者のブラームスは、後世に自分の衰えたピアノ演奏を残すことにためらいを覚えた。
親しい友人であるフェリンガー家でのセッション当日、すっかりナーヴァスになっていたブラームスは、録音エンジニアに対して非協力的だった。突然「フェリンガー夫人がピアノを演奏します!」と自嘲気味に叫びながら、ブラームスはエンジニアのマイク・セッティングが終わらないうちにピアノを弾き始めてしまった。フェリンガー氏は慌てて「ピアノ演奏はブラームス博士です!」(この部分から録音は開始されており、フェリンガー氏の声がブラームスの声と間違えられる場合が多い)とアナウンスを被せなおし、エンジニアは急遽録音を開始しなければならなかった。
ブラームスが録音を嫌がっていた事は、彼の代表曲「ラプソディ」ではなく、ハンガリア民謡をベースに作曲(編曲?)した「ハンガリア舞曲第一番」を弾き飛ばした事や、その後に子供でも弾きそうなシュトラウスの「とんぼ」という軽い曲を弾いた事から見ても明らかだ。しかし、この凄まじいノイズの中からピアノでも、長年忍耐強く聴き続けていると彼のピアニズムが浮かび上がってくる。

ブラームスの人生は、この録音事件があった頃からどんどんと陰り始める。もともと自分の才能に対して懐疑的だったブラームスは、書きためていた楽譜を河に捨てたり、演奏活動から遠ざかったり、ついには遺書の用意まで始めている。 あの大作曲家ブラームスが、である。有名無実の楽天的な音楽家が多い現代から考えると、なんとも奥ゆかしくも痛ましいエピソードだ。
その後、ブラームスは孤独のなかで独自の境地を見出し、最晩年には日本の「侘寂」にも似た諦観漂う名作を次々に残す。師シューマンの妻にして大女流ピアニストのクララ・シューマンはその作品群を「灰色の真珠」と評した。そして1896年、最愛の人クララ・シューマンが急逝し、その埋葬に立ち会う為に40時間もの汽車旅をした事で体調を崩し、1897年にあの世へ召される。

ブラームスの多くの友人たちは20世紀まで生き、何かしらのフォーマットで演奏を残している事は、ブラームス愛好家にとっては格好の研究材料となっている。
以前、ドイツの博物館から『ブラームスとその友人たち』というEPレコードが日本でも一部の専門店で売られていた(今でも所有しているはずだが、どこかへ仕舞い込んだまま行方不明...)。このレコードは「ハンガリア舞曲第一番」を、通常のアナログ再生と、レーザー光線での再生を収録しているほか、グリュンフェルトやレシェティツキ(!)といったブラームスの友人たちのスピーチを録音したロウ管を収録しているのが面白い。
宮廷ピアニストだったA.グリュンフェルトは、シュトラウスのワルツ・パラフレーズをビロード・タッチで演奏し、ウィーンの聴衆を魅了した。ブラームスの友人だった彼は「カプリッチョ作品76-2」と「ワルツ集作品39」をアコースティック録音初期に残している。どちらもグリュンフェルトらしい実に愛らしい演奏で、乱暴にならないフォルテシモはレコード録音に適していたように思う。その他、沢山の録音を残しているが、ショパンやモーツァルト、グリーグ、ワーグナー、コルンゴールドなどの小品は特に賞賛される。
またブラームスの助手でペダゴグ・パフォーマーだったM.バウメイヤーはシューマンの小品を78rpmに録音しているのはあまり知られていない。彼女は1851年の生まれで、録音を残したピアニストの中でも最年長組に分けられて良いが、その手のディスコグラフィーに登場した事が無いのは、レコード現物を所有しているコレクターがほとんどいないと云う証明だろう。
ブラームスの意に反し、現代でも劣悪な音質の(おそらくピアノ・レコード史上最悪)このロウ管は繰り返しリイシューされ、聴かれ続けている。それは「過ぎし日のブラームス~幻のピアノ録音」の番組中、鬼才ピアニストのヴァレリー・アファナシエフが語っていたように、「この録音を聴いてブラームスを思い出すと言うことではなく、まさしくここにブラームスが存在しているのだ。」という事に尽きるのだろう。




  | next >>